根本茂男さんは昭和8年~11年まで国後島に在住してました。
「我がポンコタン番外地」
<根室国、国後郡泊村大字米戸賀村字ポンコタン番外地は
私の本籍地であった。・・・・根本茂男>
この俯瞰の位置からみた島の様子は
後年の根本さんの想像による構図だそうです。
こちらは港の風景
<樺太の小学校で先生に聞かれて大声で答えると「ポンコタン」
のところでワッーと笑われた事を思い出す。中標津の町の開陽台や
標津の浜から見える国後の海岸線は私の青春時代、ポンコタン、
オンネオルス、ベットガ、サルガマップ、ゼンベコタン、トマリ、ウエンナイと
ドサンコ馬を走らせた五里の道のりであった。・・・根本茂男>