1995年6月(根本さん79才)釧路新聞に掲載された根本さんの記事から・・・
先日の続きです。
<ポンコタンは、祖父の岩吉が明治38年岩手県から移住して
鰊漁場を開き、何年か後、鰊が獲れなくなって、馬産に変わり、
ドザンコと洋種馬を交配改良して、軍馬や農耕馬を育成していた。
当時は祖母のマツの牧場と漁師4軒のの小さな部落であった>
<国後島は豊富な魚類と馬産の島であった。
春には泊の缶詰工場に内地から若い女工さんで賑わい、
夏はガツカテ曳きのホタテ漁船が沖で群れをなし、秋には
鮭鱒の漁が盛んであった。カニの缶詰、ホタテの貝柱、
ナマコなどの乾物は当時の輸出品として重要産物であり
女工さんの唄にもなっていた。
60年前の近くて遠い我がポンコタンを偲び
絵に作ってみた・・・・・・・・・・・・・根本茂男>
ポンコタンにいた頃、根本さんは18才~19才頃。
その後、1983年~1998年まで何度も描いているそうです。
(娘さんのお話から)
<クナシリ、タラバ蟹漁場の番屋。夕食はオヒョウの刺身だ。
私は馬車で缶詰工場へ蟹を運ぶ仕事なので食べるのが一番後になる。
茶ワンと箸があるのが私の席。・・・・・根本茂男>